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2006/10/20

iPod誕生秘話(1)


面白い記事を見つけました。iPodを持っている方は多いんだと思うのですが、iPodがどのような経緯で誕生したのかという話です。
#英語なんですけどもね orz。

結構長いので英語の勉強も兼ねて何回かに分けて更新して行こうと思います。
#誤訳は容赦と暖かい指摘を m(__)m。


参照:「 Straight Dope on the IPod's Birth


Thanks to Apple Computer's penchant for CIA-like secrecy, there are several myths concerning the birth of the iPod.

AppleのCIAのような秘密好きのお陰でiPod誕生にはいくつかの説があります。

One of these myths is that the iPod has a father -- one man who conceived and nurtured the iconic device. Steve Jobs, of course, is one candidate; but engineer Tony Fadell has also been named the father of the iPod, as has Jon Rubinstein, the former head of Apple's hardware division. While they all played key roles in the iPod's development, the iPod was truly a team effort.

これらの話のうちの1つは、iPodの父の話です。
もちろん、iPodに着想し、育て上げたスティーブジョブズは父親としての一候補となります。
しかし、技術者であるトニーファデルとアップルのハードウェア部門の元代表であるジョン・ルーディンシュタインも父親候補として挙げられます。
彼らはiPodの開発に重要な役割を与えられていましたが、iPodはまさにチームの努力により生まれたものなのでした。

Here's the story:

歴史。

In 2000, Steve Jobs' candy-colored iMac was leading the charge for Apple's comeback, but to further spur sales, the company started asking, "What can we do to make more people buy Macintoshes?"

スティーブ・ジョブズのキャンディー色のiMacはアップル復活の牽引役となりました。
しかし、売上げにさらなる拍車をかけるため、"アップルはマックをもっとたくさんの人に利用してもらうためには何が出来るのか?"という問いをはじめました。

Music lovers were trading tunes like crazy on Napster. They were attaching speakers to their computers and ripping CDs. The rush to digital was especially marked in dorm rooms -- a big source of iMac sales -- but Apple had no jukebox software for managing digital music.

音楽愛好家はNapster上で異常なまでに楽曲の交換を行っていた時代でした。
彼らは、コンピュータにスピーカを接続し、CDから曲をコピーすることをし続けていました。
デジタル化の波はiMac売上げの源ともなった、学生の間で注目されていました。しかし、アップルはデジタル音楽を管理するジュークボックスソフトを持っていませんでした。

To catch up with this revolution, Apple licensed the SoundJam MP music player from a small company and hired its hotshot programmer, Jeff Robbin. Under the direction of Jobs, Robbin spent several months retooling SoundJam into iTunes (mostly making it simpler). Jobs introduced it at the Macworld Expo in January 2001.

この出来事が起きてから、アップルはSoundJam MP音楽プレーヤーを小さな会社から使用許諾をえて、その注目となるプログラマーであるジェフ・ロビンを雇うことにしました。
作業の方向性において、ロビンはSoundJamをiTunesに組み替える作業を数ヶ月間行いました(もっぱらよりシンプルなものにするという作業でした)。
Jobsはそれを2001年の1月にMacworldExpoで発表したのでした。

While Robbin was working on iTunes, Jobs and Co. started looking for gadget opportunities. They found that digital cameras and camcorders were pretty well designed and sold well, but music players were a different matter.

ロビンがiTunesに着手しているころ、ジョブズとそのメンバー達は小さな機器をつくるる機会をうかがっていました。
デジタルカメラやビデオレコーダはとてもよくデザインされ、よく売れていることに気づきました。しかし、音楽プレーヤーは別扱いでした。

"The products stank," Greg Joswiak, Apple's vice president of iPod product marketing, told Newsweek.

iPodの製品マーケティング部門のアップル副社長のGreg Joswiakは"製品があふれかえっている" とNewsWeekで語っています。

Digital music players were either big and clunky or small and useless. Most were based on fairly small memory chips, either 32 or 64 MB, which stored only a few dozen songs -- not much better than a cheap portable CD player.

当時、デジタル音楽プレーヤーは大きくて格好悪いか小さくで利用出来ないようなものかのどちらかでした。
たいていのものは本当に小さな32MBや64MBといったメモリを乗せただけで、ポータブルCDプレーヤーより安いわけでもなく25曲程度の曲が入るようなものでした。

But a couple of the players were based on a new 2.5-inch hard drive from Fujitsu. The most popular was the Nomad Jukebox from Singapore-based Creative. About the size of a portable CD player but twice as heavy, the Nomad Jukebox showed the promise of storing thousands of songs on a (smallish) device. But it had some horrible flaws: It used Universal Serial Bus to transfer songs from the computer, which was painfully slow. The interface was an engineer special (unbelievably awful) and it often sucked batteries dry in just 45 minutes.

しかし、いくつかのプレーヤーは富士通から2.5インチのHDDをベースとしたものが出てきました。
最もポピュラーだったのは、Creative社のNomad Jukeboxでした。
Nomad Jukeboxでは千曲程度の曲が入ることが表示され、サイズはポータブルCDプレーヤーと同程度でしたが、重さは約2倍でした。
しかし、いくつかのひどい欠点がありました。それはコンピュータからの曲転送がひどく遅いUSBを利用されていたところです。
そして、インタフェースは信じられないほどひどい技術者指向のものでした。そして、45分でバッテリーを使い切ることもしばしばといった状態でした。

Here was Apple's opportunity.

アップルの機会到来でした。

"I don't know whose idea it was to do a music player, but Steve jumped on it pretty quick and he asked me to look into it," said Jon Rubinstein, the veteran Apple engineer who's been responsible for most of the company's hardware in the last 10 years.

"私は音楽プレーヤーをすると決めたのは、誰のアイデアかわかりませんが、スティーブは早々に近づいてきて私に調査を行うように依頼をしたのです。"
と当時、10年間のハードウェア責任を持っていたアップルのベテラン技術者であるジョン・ルービンシュタインは言いました。

Now retired, Rubinstein joined Apple in 1997. He'd previously worked at NeXT, where he'd been Steve Jobs' hardware guy. While at Apple, Rubinstein oversaw a string of groundbreaking machines, from the first Bondi-blue iMac to water-cooled workstations -- and, of course, the iPod. When Apple split into separate iPod and Macintosh divisions in 2004, Rubinstein was put in charge of the iPod side -- a testament to how important both he and the iPod were to Apple.

今は退職していますが、ルービンシュタインは1997年にアップルに入社しました。彼は以前、スティーブ・ジョブズがハードウェア屋さんをやっていた、
Nextで働いていました。アップルでは、青緑のiMacから水冷式のものなど一連の画期的な機器を監督しました。
そして、もちろん、iPodもその中に含まれます。
アップルはiPodとMacの部門を2004年に分けることにしたときに、ルービンシュタインはiPod側の担当として任命されました。
これは、iPodと彼の双方がアップルでいかに重要であるかということを物語っています。

Apple's team knew it could solve most of the problems plagued by the Nomad. Its FireWire connector could quickly transfer songs from the computer to player -- an entire CD in a few seconds; a huge library of MP3s in minutes. And thanks to the rapidly growing cell phone industry, new batteries and displays were constantly coming to market.

アップルのチームはNomadが悩まされていた問題は解決出来るかもしれないと思っていました。
FireWireのインタフェースはPCからプレーヤーに楽曲を高速に、CD1枚なら数秒で、転送できる可能性があったからです。
また、携帯電話の成長のお陰で新しいバッテリーとディスプレーは継続的に市場に供給され続けていました。

In February 2001, during the Macworld show in Tokyo, Rubinstein made a visit to Toshiba, Apple's supplier of hard drives, where executives showed him a tiny drive the company had just developed. The drive was 1.8 inches in diameter -- considerably smaller than the 2.5-inch Fujitsu drive used in competing players -- but Toshiba didn't have any idea what it might be used for.

2001年2月の話ですが、東京でMacWorldの間に、ルービンシュタインが東芝へ訪れ、その時に、アップルのHDD供給者となる東芝は小さな開発したばかりのHDDを彼に見せたのでした。
ドライブは直径1.8インチで、競合する他社のプレーヤーに使われていた富士通の2.5インチより大幅に小さいものでした。
しかし、東芝はどのように使われるものなのか、考えがなかったのです。

"They said they didn't know what to do with it. Maybe put it in a small notebook," Rubinstein recalled. "I went back to Steve and I said, 'I know how to do this. I've got all the parts.' He said, 'Go for it.'"

東芝の重役達が、「小さなHDDで何をすべきかわからない。恐らく、小型のノートPCに入れるくらいだ」といった話を止め、彼は「スティーブの元に戻る」といい、次のようにいいました。「私は小さなHDDの使い方に考えがある。全てを下さい。」「やりましょう」といったのでした。

"Jon's very good at seeing a technology and very quickly assessing how good it is," Joswiak told Cornell Engineering Magazine. "The iPod's a great example of Jon seeing a piece of technology's potential: that very, very small form-factor hard drive."

Joswiakは「彼は技術を見る目があり、とても早く使い方を考えることが出来る」とCornell Engineering Magazineの中で言っていました。
「iPodは、彼にとってとても小さなHDDの潜在的な技術を見抜いたという素晴らしい例となっています。」


長かったですが、如何だったでしょうか?
時代の波にのって、今や押しも押されぬ音楽プレーヤーの先駆けとなったiPod。
バッテリーや画面は携帯技術により進化し、HDDの技術進化ともぴったりマッチしてたわけですね。
iPodは偶然が生んだ至宝の作品だったわけです。

次回はiPodのクリクリまわせる、スクロールホイールの話のようです。

ではまた。


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